さて、ここ数日食べ過ぎて大変な事になっております(笑)
帰ったら山口さんのところに修行にいっている中村くんのトレーニングとストレッチをバッチリ受けてコンディションつくります。
東京にいる時はバッチリ習慣化してきました。
週二回いけたら最高なんだけど難しいな^^;
中村君宜しく!
話は変わりますが、今海外に友人の結婚式に来ております。
そんな素晴らしい時間の前に
Wi-Fiがはいるところでニュースをみていると
最近のニュースはネガティヴな上に、SNSが混ざるので
事実とはなんだろうか?
と事実を正確に知るのが難しくなってきていますね。
人がやってる事なので、なんでもミスも事故も起こるし立場や環境も変われば思う事も違う
これだけ人口いれば毎日色々起こっていて、ニュースをネガティヴに取り上げようと思えば何だってニュースになる世の中
それは時代なので仕方ないとしても、情報を事実だと思い込んでしまう怖さは拭えないですね
今は若いうちから、ニュースやネットの情報は事実ではなくて
その人の物の捉え方からくる感想
事実ではないよって教育が大切だと心の底から思うのです。
メディアに振り回されてる感満載です。
より自分の頭で考える力を養わないといけないと思う
あ、特定なニュースについて批評してません(笑)
またWEBで感想ぶつけ合ったってジャッジする人もいなければネガティヴなものにポジティブなものを発信する側は発信する必要性が少ないから基本ネガティヴ優勢になりますよね。ポジティブ側はその論争に入るメリット少ないですからね。。
わたしは
人を批判しても自分が得するわけではない
人を責めても自分の実力がついたわけではない
人の足を引っ張っても自分は得れるものは何もない
と思うんです。
批判的な発信して自分が良くなるわけではない
具体的に環境が自分自身どれほど良くなるのだろうか?
逆に失ったものは多いのではないか?
人を責め
人を批判し
人の足を引っ張って
自分の中で失しなった後味のわるさカッコ悪さの方が自分の人生にインパクト大きい気がします。
思っているだけならまだしも書いて記憶に刷り込んでいくわけですからね
何かを変えたければ自分が変わる事
そして、環境を変えたいなら
自分に実力をつける事
自分が変えられる立場になる事
そう思って生きてきました。
私の社会に出た時の感覚は
自分に得な話をしなければいけない人
自分にチャンスをあげなければいけない人
自分をピンチから救わなければいけない人
そんなありがたい人は本来は親ぐらいで誰も元々はいないと思っています。
自分の道は自分で切り開くしかない!そう思っていて助けてくれる人が沢山出てくると心から感謝できるようになれます。
自分が応援されるような応援したくなるような生き方をしてるかで初めて増えていくのだと思うのです。
助けてくれるのは当たり前ではないのだと思う
今の時代
人を傷つける可能性がある批判をできるような確かな情報が落ちている事を自分の目で見て確認する方が難しい。
そして、事実を正しい方向性に向かって考えられる知識を持っているかも問われるわけです。
知識がなければ矛盾が理解できずに解決できないですからね
そう思うと簡単に批判などできないと思うのだ
選択と知識が大切な時代の到来ですね
暇なので思った事を綴ってみました。。。