弊社の社訓的なものの中に
「自分で考え自分で決意し行動する」
というものが存在する。
人が成長していく中で絶対不可欠だと思われるこの状態
実は一番難しいのはその環境づくりなんだと実感している
人間、実は「目的」「目標」があれば必ず
例外なく皆自分で考え自分で行動すると思っています。
だってやりたいんですからね。。
いやいや、そんな事はないよ
と思っていた時期も実際ありました。
延べ数千人というスタッフと20年あまり接してきて感じた事です
「いやいや」と思っていた時
実は一番自分自身がその時は未熟だったと思っています。
自分で考えろ!!とか言っているのに
簡単に「どうしてこうやんないんだ!!」とか
「ああやればうまくいくだろ」とか
口が出ちゃうわけです
経験豊富ならなおさらでちゃう
けどこの状態では絶対に自ら考えて動くようになっていかない
口酸っぱく徹底的にうるさく言って動くようになった事もある
そういう事も今までやってきた
けど結局うるさく言っている人の答えを探す事がうまくなっただけで
その人の脳をつかって考えたわけではなくなる
自分の思ったような事を相手がやってくれるようになるので
考えているように見えるが
実は考えていない事よりたちの悪い状態になっている
怒られないようにしているだけな訳だからね。
そういう人に人事の相談すると
自分よりポテンシャルを持っている人や、違った特徴を持っている人を推薦してこない傾向が強い
ようは出る杭が打たれるわけだ
では大事にしている事は何か??
「本気で口を出さず待つ」
放置ではなく「待つ」
という行為
じつは本当に愛情や情熱を持っていないと出来ないのはこっちの方だと気付いた
実は言ってしまう行為は
「自分の価値の主張」
「自分のストレス発散」
意外効果を得れるものは何一つ見当たらなかった
人は気付くタイミングや変化するタイミング成長スピードもまるで違う
それが「個性」「人」なわけだ
そして皆同じではないから面白い
という事がわかっていなかったんだともう
そして今から振り返ると
どんな遠回りしても「目的」「目標」がはっきりしていると
選んでくる道はそうそう間違えて選択は引かないはずだ
失敗もあるとは思う
失敗することも「勉強」
その失敗を批判したりののしったり
そういう事をすると「失敗が面倒になる」
だから顔色を見るわけだ
比較なんてしだしたら最後信頼は崩壊しいっきに関係が崩れる
こういう経験をして「自分の未熟さ」を思いっきり棚に上げていた事に気付き
本末転倒の自己満足だった事に気付かされたわけだ
ただし例外もある
信頼関係が絶対的になってからはまた違ってくると思う
その目安は
「願望」だ
たとえば「願望」にはいる人物に自分がなっていれば
強く物事を言っても話に耳を傾けられる
そして
「願望」を共有できることも大事
厳しい話を受け入れられない時って私も経験あるが
自分自身結果も出していないのに本で学んで知ったようなことを正論だからと厳しく言ってくる
信頼関係がないとそれでは聞いてもらえない
ロボットじゃないからね
感情というものがあるから
そして一番うるさく言って成果が出ない理由と考える事
厳しい人の弊害は
「恐怖」
これは脳をフリーズさせ行動も思考も停止させる
実際、そんな環境では20%も発揮できないはずだ
実はこれは反省した体験がある
私は数年前、すごく私自身信頼しているスタッフに情もあり
この20年間で一番うるさく言ってきたスタッフがいる
言えば言うほど行動が止まりやる気が無いんじゃないかと思った時期もある
それが数年も続いた
正直、精神的にも限界に来ていたのがわかった
そこで違う部署に移して私から離してみた
びっくりするぐらい活き活き活躍する(^^;
今では素晴らしい成績を出している
楽しそうに
あの時のスタッフがだ・・・・
もう猛反省したね(笑)
この経験からハッキリわかった
厳しいというのは
する側が相当コミュニケーション能力が高くなければ暴力以外の何者でもないという事を
今の弊社の環境をみるとヌルイと表現される方もいる
果たしてそうだろうか??
役職がつけばつくほど「待つ能力」目標設定能力にすぐれ
役職がつくほど厳しく接される事になる
私は今の方が厳しいと思う
成果を必ず求められるわけだから
その成果を上げる原動力が
考えて行動する力
これはその環境があって初めて成立する
長く勤め願望が共有でき信頼感が出てくると
面倒なコミュニケーションではなくハッキリ厳しくなってくる
なので長いメンバーはほとんど褒められなくなる上に要求は高くなる
しかしその信頼感は10年近い月日の中でつくってきたと思う
考えて行動する環境をこれからもつくっていき会社も一緒に成長していこうと思う。。
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自分で考えて行動する
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