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Channel: 株式会社nobitel社長 黒川将大のブログ
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起業当時の出来事

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さて久しぶりのブログ


起業2年目くらいからの話し


23歳の1年目で年商1億円月間の粗利で月200から300万くらいをウロウロしてた記憶があります。


しかし、当時の黒川君には夢があったので給料10万くらいしかもらわず

残りを運転資金にまわしながら早く借入起こしてレバレッジかけられるところまでいきたかった。


確か定かではないが2年目あたりに初めて無担保で1000万の融資がおりたとおもう。


稼いだ粗利を馬鹿みたいに給料と勘違いして使い込んだら未来の夢への種銭がなくなると思って10数年一切贅沢などもせずにチャレンジするためだけにお金を使いまくった。


2年目は店舗業でも人がもっと沢山来ていただけて賑やかな商売をやりたかった。


しかし、そういった修行は一切してなかったので尊敬している社長の会社の店舗の清掃をやらせてもらう事で学ぼうと決めた。


昼間自動車販売業


夜間はレンタルビデオ屋の清掃などを含めて店舗の床清掃を夜中にやってまわった。

確かそれも粗利で月200万前後くらいは上がっていたと思う。

この頃あたりから社員を雇用するようになり、夜の清掃も昼の販売も全ての現場に出て獲れるものはなんでも得ようという気迫で仕事をしていた。


朝6時に現場から帰ってきて10時くらいに出勤するというのを7年近く続けていたはずだ。


そのうちこの清掃業から内装事業に変わり、店舗の内装からデザインそして賃貸マンションの入れ替えリフォームもかなり手広くひろげていったわけだ。


たしか、ようやくこの辺りで自分の給料が25万くらい取るようになってたかな。


社員より暫くずっと給料が少なかったからな


取ろうと思えばとれたけど喉から手が出るほど運転資金をなるべく多めに欲しかった。


まだチャレンジしたい事が山のようにあったからだ。


そして、転機がやってくる


スノーボードの販売の店舗をはじめるのだが。。


これが僕の人生の大きな成功と失敗を経験するとはこの時想像もしていなかった。


その話しは後日書こうかな


振り返ると中々勇気と堅実さを併せ持っていたと思う笑


会社の財布と自分の財布はきちんと分けていたし、多少儲かったからって贅沢して生活レベルを上げようとも思わなかった。


自分の目指してる企業規模はそんな単位のものではなかったら


年商10億超えるあたりまでは軽自動車乗ってたしな


殆ど会社の代車乗り回してた笑


見栄とか今的に言うリア充的なアピールなんて自分の首を絞めるだけなのは馬鹿じゃないので強く意識して経営していた。


30歳手前の10億円いかないくらいの時に初めて自分へのご褒美でロレックスのデイトナを買ったんだけど

ちょー嬉しかったな


実はこの時計が買った価格の6倍くらいになってるから驚きだ笑


この時計は息子が経営者として少し一丁前になったらプレゼントしようと思う。


当時はスタートアップなんてカッコ良いネーミングもなかったので殆どの人が個人で独立からの起業みたいな感じだった


で、みんな同じ事を繰り返しているのを見て決めていたんだよね


独立して社員数人雇用すると社長は現場でなくなり贅沢しだす。


それをみて社員と社長が近いわけだからみんな嫌になって辞めていく。


社長は「最近の若い奴は根性がねー」とか言いながらまた現場に出て社員を育てる。


そして育ったと思ったら贅沢をして嫌気をつかされ振り出しに戻る。


なんでみんな同じ事をするのだろうか??


と疑問に思っていた。


で、自分は振り出しに戻るような経営をしたくなかったので商店なら商店なりにって経営をしようとしてたわけだが。。。

勉強したわけではないからやり方がわからない笑


なので、単純に給料取らないと言う手段に出た笑


これがうまくいったのかはわからないけど、前に進んだのは事実だと思う。


という事で、他人の失敗は自分の教科書になるという事


なので暫くは帝国データバンクの倒産情報の会報誌みたいなのを細かく読むのが趣味になっていた。


同じ事をしないように


しかし、これが今でも役立っていると思う。


経験という教科書は偉大だ


という事で、長くなったので気が向いたらスノボのことでも書こうと思います。


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