取締役達との旅にあたり、折角なので知らない人もいる取締役の簡単なエピソードを飛行機で少し昔を振り替えってみた。
まずは大策と山下編!!
二十三歳の時に起業一年目、二人が就職してきた。完全に行く当ての無い若者って感じの二人
そもそも有限会社の売り上げ一億程度の会社に大学卒業した優秀な社員が入ってくるわけもない
二人共、金髪に近い髪型
怒ってもいう事聞く、やわな奴らではない。因みに大策は弟だが家庭環境が複雑だった為、あまり弟という感じがしない育ち方をしている。
いって聞かぬなら、やらせてみろ!定番だが、営業にだすと金髪で営業しにいくしまつ。
三ヶ月という猶予を与え、仕事がとれなければ解散する宣告をすると頭を使いだす。
髪を黒く染め、スーツをきてくるようになった。
そりゃそうだ、せめて何もないなら無いなりに印象ぐらい良くしなければ飛び込み営業で成果など出るわけがない。
二人でふざけたり、喧嘩したり、話し合ったりしながら仕事をとってくるようになる。
当時、内装の事業を始めたばかりだった。
月百万ぐらいの仕事を二人でとってくるようになる。
結構スパルタだ。
とれなきゃ帰るな的なね(笑)
今の人達だったら辞めていただろうな。
朝から夜中まで毎日だ。誰も何も教えてくれないから考える以外ないから
俺も知ってるわけじゃないしね。
辞めても行くところの選択肢が少ないから辞めれない。
背水の陣
色々あったが、その後は事あるごとに言いあいになったりもしたが
潰れそうになっても粘り粘ってくれた。
厳しい時は、昼働いて 一度帰って飯食って、夜集合なんて月に何度もあった。
二十四時間働けますか?
なんてCMがあったが、それ見て42時間働いてるし!なんて笑っていた。
そんな働き詰めの初めの十年間を彼ら二人と働きに働いた。朝方の帰りの車で後ろの座席から二人向かって将来の夢を語っていたのが懐かしい。
三十になったら、とか
四十になったら、とかね
実はその話しが怖いぐらいに、その通りになってるんだよね。
二十代途中で新規事業に失敗して借金で火の車だった時も逃げずに頑張ってくれた。
目標とかいう甘い状況じゃなかったしね。二十六歳から三十一歳の間が一番過酷だったかもしれない。
目の前が真っ暗で、もがくように仕事していたからね。
二人は俺が見えてないんだから、闇だっただろう。
ケツに火がついた状態で何年も頑張り続けるって結構辛い。
もう今の年齢では絶対にできないね。
その後、二人は担当の事業部が分かれ各々責任もって事業をのばしてくれている。
直近の十年も二度ほど危なかった事があったが、そこも何とか乗り越えてきた。
それも、彼らが逃げ出すなどと一度も考えない関係ができていたからだろう。
ほとんど褒めないのにね(笑)
しかし本当に感謝している。
今の成長は間違いなく一緒に彼らと失敗してきた中で培ってきたものばかりだからね。
気がついたら二人とも三十後半。
一緒に財務から何からオープンにしながら数学を教えるように伝えてきた。
今ではマネージメントから事業計画作成まで現場から経営まで全てこなしてきたから強くなっている。
節目の二十年。二人には悪いがこれからが本番(笑)
もっと頑張ってもらうつもりなのでよろしく頼みます。。
では次は田代取締役編で